2024年12月2日発行
メールマガジン「Nutrition News」 Vol.253
第26回ダノン健康栄養フォーラムより
腸内環境の可視化と健康づくりへの活用
慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授
福田 真嗣 先生
私たちの腸内には約1,000種類、40兆個もの腸内細菌がいると見積もられています。これらを腸内細菌叢と呼びますが、腸内細菌叢は私たちが食べたもののうちの未消化物をエサとし、代謝物質として短鎖脂肪酸など様々な成分を作り出します。これらの成分は一部が腸から吸収されて全身をめぐります。そのため、腸内環境が私たちの健康や病気の発症に大きな影響を与えることがわかってきています。しかし、腸に住みついている腸内細菌の種類やバランスは、人によって大きく異なることがわかっています。
薬の効き目に腸内環境が影響する?
「免疫チェックポイント阻害薬」という抗がん剤があります。従来の抗がん剤の奏効率が5~10%程度であったのに対し、免疫チェックポイント阻害薬は奏効率が20~30%であることから非常に注目されている薬です。ここで1つの疑問がわいてきます。なぜ薬は全員に効かないのか?ということです。これについて世界中の研究者が調べたところ、免疫チェックポイント阻害薬では、腸内細菌叢の違いが効き目に影響していることが分かってきました。具体的には、腸内細菌叢の多様性が高い人や、アッカーマンシア菌、ビフィズス菌などある特定の腸内細菌が腸内にたくさんいる人では、免疫チェックポイント阻害薬がよく効くということが分かってきたのです。薬には副作用があることを考慮すると、事前に腸内細菌叢を調べて、効果があると考えられる方にその薬を使用するということができればよいのですが、逆に、効果がないと考えられるからといって薬を使わないわけにもいきません。では、薬効を高めるにはどうしたらよいのでしょうか。
1つの重要な方法として、便微生物叢移植療法(便移植)があります。これは、健康な人の便の懸濁液を、大腸内視鏡を使って患者さんの大腸内に入れることで、強制的に患者さんの腸内細菌叢を健康な方のものと入れ替えるという手法です。順天堂大学医学部消化器内科の石川先生が、潰瘍性大腸炎の患者さんに対して便移植による臨床試験を行ったところ、その結果、82.4%の患者さんの症状が改善、35.5%の患者さんで症状が寛解するなどの効果がありました。
さらに、移植する便については、親や子どもからもらうよりも、配偶者からもらうよりも、兄弟・姉妹からもらって投与した方が、潰瘍性大腸炎が再燃しなかった割合が高い(=よく効く)ということがわかってきました。なぜ兄弟・姉妹の便で効果が高いのかについてのメカニズムは明らかになっていませんが、兄弟・姉妹は幼少期に同じような生活習慣を送っていることが関係するのではないかと考えています。幼少期の生活習慣が似ていれば、同じような腸内細菌叢が腸内に住みつくと考えられます。兄弟・姉妹がいない方の場合でも、自分が健康なときの腸内細菌叢をとっておくことによって、将来、自分が病気になってしまった時に有効な使い方ができるかもしれません。
このような臨床研究の結果を社会実装するため、私たちが2020年に設立したメタジェンセラピューティクス社と順天堂大学とが連携して、先進医療B(※)として潰瘍性大腸炎の患者さんに腸内細菌叢を移植するという治療を行っています。しかし、潰瘍性大腸炎は患者数が20万人もいる病気です。一方で、これ治すために必要な健康な方の便は、ほとんどが捨てられてしまっています。便が足りないのです。そこで私たちは、日本初の腸内細菌叢バンクである「J-Kinsoバンク」を2024年4月にスタートしました。献血ならぬ“献便”を行う仕組みです。健康な方の便には、患者さんを救える可能性があります。つまり、よい便を作ること自体が社会貢献ともいえるのです。
※保険診療ではないが、保険診療との併用が認められたもの
腸内細菌叢から実現する新たなヘルスケア
腸内細菌叢のパターンは人によって異なります。そのため、同じものを食べたり飲んだりしても、得られる効果は1人1人異なります。そのような背景から、健康維持にはそれぞれの腸内環境に合わせたアプローチを行うことが重要だろうと考え、2015年に設立したメタジェン社では、食品企業と腸内細菌叢の検査事業を行っている企業と連携し、腸内環境に基づく層別化シリアルの開発を行いました。このシリアルを購入するためには、最初に検便を行って自身の腸内細菌叢のタイプを調べていただく必要があります。その上で、自分の腸内細菌叢のタイプに合わせたシリアルを購入し食べていただくという仕組みです。「商品を購入したいのなら、ウンチを送りなさい」という、日本初のかなりエッジの効いたサービスですが、これを行うことによって自分が健康なときの腸内細菌叢の情報をもつことができます。私の話を聞いてくださったみなさんには、そのことにどれだけ価値があるかがお分かりでしょう。自分が健康なときの腸内細菌叢の情報を知っておくことこそが重要であり、それを活用して自分の腸内環境に合った食事をとっていただくことが大事ではないかと考えています。
しかし、実際に検便を行うためにはトイレ行って自分の便に向き合う必要があり、それは多くの方にとってハードルが高いものであることも事実です。そこで私たちは、自動健康評価システムを搭載した“次世代スマートトイレ”の開発を検討しているところです。トイレに行って便を出すと、トイレの中でその便が攪拌されます。それをセンサーによって検知し、健康状態を判定するというものです。結果はスマートフォンに反映され、場合によっては受診勧奨のメッセージが表示されるようにすることも考えています。私たちは、このスマートトイレを設置した家“スマートハウス”、さらにはスマートハウスが立ち並ぶ街“スマートシティ”を作っていきたいと思っています。自分が意識しなくても健康になれる、そんな家が立ち並んでいる街が、健康社会につながっていくのではないでしょうか。
“茶色い宝石”から世界を健康にする
便は“茶色い宝石”ともいえる、価値のあるものです。私たちは、100人いたら100人が健康になる社会を作りたいと考えており、そのためには、腸内環境の個人差をきちんと理解する必要があります。そこで考えたのが、“ブラウンオーシャン戦略”です。「ブルーオーシャン」「レッドオーシャン」というビジネス用語がありますが(※※)、私たちが飛び込もうとしている海はブルーでもレッドでもなく、ブラウンです。地球上に住む約80億人が生きるために食べ物を食べ、茶色い宝石をつくります。しかし、これらはほとんど全てが捨てられているのが現状です。私たちは、世界中でつくられている茶色い宝石を日本に空輸し、価値ある情報やプロダクトに変換して世界中にフィードバックすることによって、便から世界を健康にしたいと思っています。
※※「ブルーオーシャン」は競争のない市場、「レッドオーシャン」は競争の激しい市場を指す言葉。
ダイジェスト動画
▽第26回ダノン健康栄養フォーラムの概要は、以下をご覧ください↓
┗ https://www.danone-institute.or.jp/forum/35562/